「戦争の過酷な記憶の克服―水巻炭鉱を訪れて」

F・E・ヤーコプス博士 
(駐日オランダ王国全権大使)

 

 今日、私たちは第二次大戦中、日本の収容所で亡くなった連合国捕虜の方々がたどった悲惨な運命を思い起こします。この犠牲者のうち、一、〇〇〇人近くが私の祖国オランダの同胞であり、そのほとんどが九州の水巻の炭鉱で働かされました。水巻の記念碑や当地横浜墓地の納骨堂は、オランダ人捕虜の苦しみと、かような悲劇を二度と繰り返してはならないという厳しい戒めを想起させてくれます。

 駐日オランダ大使として、私は、時折、多くの人々が今なお抱いている戦争の苦しみを目の当りにいたします。特に毎年水巻訪問の際には辛い思いをいたします。水巻では、戦没者を、遺族の方々とともに追悼しますが、その中には、子供のころ、ご自身が強制労働収容所生活を経験させられた方もおられます。日本の外務省は、これらの人々を日本に招き、戦後の日本の平和な姿を見てもらうことによって、彼らが今なお忘れることのできない困難な記憶を克服してもらおうと努力しております。

 最近いらしたそういうグループの中に、お父さんが日本の会社で強制労働させられたために、子供のころ日本に連行された婦人がおられました。戦後ずっとこの方は、どうして自分の幼児期はかくも過酷なものであったのかと問い続けてこられました。しかし、外務省、関係した会社の努力によって、この女性は会社の代表者と会い、幼児期の一部を過ごした場所を訪れることができました。このようにして、ついに、長い間彼女を苦しめてきた多くの疑問に答えが与えられたのでした。

 今日、戦没者を追悼するとき、同時に私たちはその多くの遺族の方々の悲しみにも思いを馳せないではおられません。「絶対に忘れない」と心に銘記しておられる全ての方々に心から敬意を表したいと思います。特に、この大切な追悼式を開催して下さった方々、またこの墓地をこんなにも美しく手入れの行き届いた場所にして下さっている人々にお礼を申し上げたいと思います。


『敗戦60年 戦争はまだ終わっていない 謝罪と赦しと和解と』(2005年8月発行)より、編者である雨宮氏の許可を得て転載させていただきました