「無知は人類最大の敵―日本へ八〇〇〇人」

F・E・ヤーコプス博士 
(駐日オランダ王国全権大使)

 

 一九四三年二月、日本帝国軍隊が、主としてジャワ島に駐留していたオランダ領インド海軍を、続いて陸軍を攻撃したとき、オランダ領東インド諸島(現在のインドネシア)のここちよい、一見安定しているかに思えた世界は、突然眠りからさめました。

 二週間のうちに、数世紀の歴史をもつ、確立した、主として人種に基いた階層制度は崩壊いたしました。

 一九四二年初めの数ヶ月間の混乱とパニックのあと、すぐに新しい帝国の体制ができました。一〇万人以上のオランダ市民が捕虜になりました。そのうち約一万7千人がーその全員が軍人でしたがー捕虜としてあの悪名高い泰緬鉄道で強制労働をさせられました。泰緬鉄道の労働者の約三〇%がオランダ人でした。彼らのうち約四〇〇〇人が死にました。一九四三年一〇月、鉄道が完成するとすぐに、八〇〇〇人が日本へ輸送され、銅山や炭鉱で働かされました。こういった無味乾燥な数字の陰に、恐怖、虐待、飢餓、病気の世界が潜んでいます。約二万人のオランダ国民がオランダ領インド本土の収容所で亡くなりました。

 しかし、最大の犠牲を払わされたのはインドネシア人でした。推計はさまざまですが、三百万から四百万人のインドネシア人が公共計画事業における強制労働の結果、栄養不良、病気、極度の疲労のために死んだと広く考えられています。

 今私たちが出席しているこのような式典は、あるひとつの目的を果たします。すなわち、こうやって死者を追悼するとき、かくも悲惨な生涯を終らねばならなかった人々に尊敬の念を表すという目的です。同時に、このような追悼礼拝は私たちに過去と向き合う機会を与えてくれます。それは苦しいことです。すべての人が過去を直視することを好むわけではありません。何といおうと、私たちは人間なのですから。しかし無知は人類にとって最大の敵です。ですから無知と闘うことはこのような追悼式における私たちの義務なのです。

 まさにそのことが、今私たちが追悼する人びとに対して私たちが負うている義務なのであります。


この文章は『敗戦60年 戦争はまだ終わっていない 謝罪と赦しと和解と』(2005年8月発行)より、編者である雨宮氏の許可を得て転載させていただきました。