「祈り」と「戦没捕虜の霊へ」

レスター・テニー
(アリゾナ州立大学名誉教授)

[祈り]

 愛する主よ、今日、私たちはここに集まり、ここに眠る陸軍兵士、海軍水兵、海兵隊員、それぞれ名誉ある行為をもって祖国に奉仕し、死ななくてもよい意味のない死を遂げざるを得なかった、それもそれぞれの人生の最頂点で死ななければならなかった方々に向かって、敬意を表そうとしています。これら倒れた戦友へ捧げる最大の敬意が、今日私たちがいまここに立っていることであると思い、第二次世界大戦の短期とはいえ日本軍の勝利の期間にこれらの方々は地獄を生きる経験をした、そのことを思い、ここに立っています。五七年の間のどの一日とも同様、今日もまた、ここに眠る方々に一人一人が苦難を経てあなたのもとへ召されたのだと、いま思いを致しております。

[戦没捕虜の霊へ]

 この墓地に埋葬されたあなた方の死とその生き方の意味は無視され忘れ去られてはいません。誰かが妄想にすぎないとして記憶から消し去ってよいものではありません。この世には真実に基づくことの一切を憎しむ者がいることを私たちは知っています。ただ自分の都合のよい要求を突きつけて、真実は隠されたままであって欲しいと願い、そのことより自分中心の野望を防禦しようとしている者がいることを知っています。

 ここに眠るあなた方は、その短い人生の中で幾度も恐怖の苦痛を経験し、人間としての尊厳を剥奪され、誠実と道義が危険にさらされ、意味不明瞭、秘密裡に準備された戦争の不幸な犠牲者となったのでした。そして戦争捕虜となったのでした。あまりにも若くしてあなた方捕虜は死を遂げたのです。それは死ぬ必要のない死でした。ただ戦争が悪なのだと言われています。しかし私たちは別な考えを抱いています。あなた方の多くは、もっと人間性を大切にした扱われ方があれば、適切な食物と医療が充分与えられることがあれば、死ななくてすんだのでした。私たちは、あなた方の功績を称えるためにいまここに立っています。心の傷を覚えて嘆き悲しむべきこの時に、ここに埋葬されているあなた方の霊が耐え忍んだことを、私たちにも分かち持てるようにして下さい。あなた方は母国の最も高い価値を守り、支え、さらに高めるために、責任感と献身の思いを示しながら最後を遂げ犠牲となったのでした。

 いまここには三十二人のアメリカ兵たちがいます。多くは私とともに戦い、私の上官だった方々、戦争捕虜として死んだ方々、日本の巨大産業のために強制重労働をさせられ死んでいった方々の前に花輪を捧げるとき、私の目は涙がこみ上げています。あなた方を捕らえた者たちにとって、あなた方の生命があまりにも取るに足りないものであったので、名前すらわかっていないと、ただ姓名不明とされたままであると、解説することは悲しいことです。それらの方々の勇気は、またその国家への奉仕は、名は知られなくとも、忘れてはいません。称えられています。しかしこれらの方々は世界平和のために、途轍もなく大きな貢献をしたのです。そのことを私は、今日公に表明致します。

 本日、私たちはすべての人間は平等に創られていることを意識しつつ、友情をもって心をひとつにしています。また世界各国が平和によって永遠に支配されることを祈ります。そして私たちは情熱を込めて祈ります。憎悪が、どのような理由であれ、どのような種類のものであれ、地上のどの国からも消滅し、全人類が平和のうちに生きることが出来ますように。

 今日私は、あることを学びました。ここに、大勢の同じ関心を持つ人々とともに立っているとき、私たちはすべて一つの家族であり、世界の誰にとっても大きな重要性を持つ出来事に、同じ思いを持ち、関心を持ち、心を砕き、真剣に取り組もうとしていることがわかります。私たちが思いを寄せ、よろこんで手を差し出そうとして、同じ信念、同じ祈りのうちに、ひとつになっているので、私たちが追い求めるものを成し遂げることができるのです。

 ここに眠るあなた方は、その孤独な行路を神とともに歩んでこられました。あなた方は、神によろこばれている方々です。それ故に、あなた方は忘れられてはいません。あなた方は私たちの胸の内に、私たちの記憶の中に、いつも生きております。

         [斎藤 和明 訳]


『戦没捕虜追悼礼拝(1995‐2002)―平和と和解への道―』(2002年8月発行)から転載いたしました。