「なぜ私たちはこの保土ヶ谷に来るのか」

第22回戦没捕虜追悼礼拝 主催者代表挨拶


「英連邦戦没捕虜追悼礼拝」実行委員会
代表 奥津 隆雄


大使館代表の皆様、および本日参加の皆様。

まず初めに、本日この追悼礼拝にお集まりいただけましたことを心から感謝いたします。今年もこの追悼礼拝を持てましたことを私たちの主である神様に感謝致します。

毎年8月の第1土曜日、午前11時は私にとって特別な日の一つです。私の心のどこかには、いつもこの日があります。この日が近づくにつれ、私の緊張感は高まります。この日が来ると私の気持ちはとても張り詰めるので、私の頭と心と体はこの追悼礼拝に集中します。この日が過ぎると、ほっとします。そして、次にこの日が来るのはまだまだ先の事だと安心します。しばらくすると、この日を懐かしく思うようになります。そして、今年もこの日が迎えられたことに感謝をするのです。しかし、なぜ私たちはこの日に、この保土ヶ谷の地にやって来るのでしょうか。

まず第1番目に、ここに眠る戦没捕虜の方々を覚えるためであります。全ての方々を覚える事はできませんが、私は特に、イギリス地区に墓碑のあるアルバート・ベイリーさんを覚えます。彼の顔を思い浮かべ、彼の家族を思い浮かべます。彼の甥であるテリー・アトキンソンさんは第16回の追悼礼拝に来てくださったので、彼の姿も思い浮かべます。ベイリーさんの日本での生活を思い浮かべ、彼がどんなに祖国に帰りたかったか、家族に会いたかったか、を考えます。また、彼の家族や友人たちが、どんなに彼に会いたかったか、を考えます。彼は祖国には帰れず、26歳で亡くなっていますが、私はそれを申し訳なく思うのです。私はベイリーさんが亡くなる前、実際に彼に会った事はありませんが、この保土ヶ谷で彼に出会うことができました。そして、ベイリーさんを通して、戦争とはどのようなものなのか、また平和がどれほど大切であるかを教えられるのです。この保土ヶ谷の地に来る時、時間と空間を超えて与えられた出会いを感謝するのです。

 第2番目に、この追悼礼拝を始められた3人の呼びかけ人の方々を思い出すためです。永瀬隆さんは2011年に亡くなりました。しかし、この英連邦墓地を歩いている永瀬隆さんの姿を今でもはっきりと思い出す事ができます。そして、永瀬さんが残された言葉を思い出します。それは、「もう2度と戦争は起こさんでくれ」という言葉です。この言葉によって、私自身も「戦争反対」と言うことができるのです。今年の8月下旬には、永瀬隆さんのドキュメンタリー映画が上映されます。この映画を観て、改めて永瀬さんの姿を思い出したいと思います。斎藤和明先生は2008年に亡くなられました。今でも、汗をかきかき、通訳をされていた姿を思い出します。斎藤先生はこの追悼礼拝の趣旨文を起草してくださいました。この趣旨文が完成したのは斎藤先生が亡くなるほんの数週間前です。ですので、これは斎藤先生からの遺言です。私たちがこの保土ヶ谷に来るのは、その趣旨に従って行くためです。雨宮剛先生は私の大学時代の恩師です。雨宮先生と初めて出会ってから、今年で30年がたちました。今日、この追悼礼拝に来てくださった事を心から嬉しく思います。この保土ヶ谷の地に来るたび、雨宮先生と歩いた道のり、また、雨宮先生が話してくださった事を色々と思い出すのです。雨宮先生は、この追悼礼拝が今後ずっと続いてほしいとおっしゃられていますが、私たちがこの保土ヶ谷に来るのは、それを実現させて行くためです。この3人の方々を思い出す時、平和と和解への道のりがどれほど長く、また厳しいものか、ということを私たちは教えられます。しかし、彼らはその道のりを歩いて来られたのです。ですから、私たちにも出来るはずです。一人では難しいかもしれませんが、一緒ならできるはずです。共にその道を歩いて参りましょう。

 第3番目に、私たちがこの保土ヶ谷に来るのは、この追悼礼拝に参加する人たちに会うためです。今年も多くの人たちが参加してくださっています。英連邦諸国及び旧連合国からは、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、オランダの大使館の武官の方々が参加してくださっています。地元の高校生たちも参加してくださっています。平和を志す民間団体の方々も参加してくださっています。多くの教会関係の方々が参加してくださっています。関田先生には毎年追悼の辞を頂いています。さらに、この追悼礼拝を支えるために、多くの方々が献金をしてくださっています。全ての人の名前を挙げる事はできませんが、皆様に心からの感謝を申し上げます。

これからは、先ほど関田先生からお話があったように、和解の実を求めて、核兵器のない世界を目指して共に歩んで参りましょう。

神様の祝福と平安が皆様と共にありますように。