第四回英連邦戦没捕虜追悼礼拝 追悼の辞「ピースメーカーとして」


関田 寛雄

 第四回の追悼の集いをここに開くことができましたことを心から喜びたいと思います。今朝の新聞をご覧になりました方はおわかりと思いますけれども、小渕内閣が組閣されたばかりのこの時に、はやくも中川農林水産大臣が「日本の中学校の歴史教科書から、従軍慰安婦の問題、南京事件なども削除するように」というような発言をなし、文部大臣もあわててこれを批判し、彼もまたたちまち前言を翻すという、まことに新しい内閣のぶざまな、無責任な体質があらわ露になったように思います。

 最近は自由主義史観とか、あるいは日本万歳史観というような歴史の見方が大手をふってジャーナリズムに現れて参りました。今年、生れました「プライド」という映画がございますが、この映画もそのような考えのもとに描き出された映画でございます。

 しかしこの映画の中で、ただ一つ真理契機があるとするならば、次の事でありましょう。それはA級戦犯の弁護人でありました、清瀬弁護人が東条英機の所に参りまして、「連合国の方では天皇の戦争責任を訴追しようとしている。できるならば君のぜんげん前言を翻して(前言と申しますのは「かみごいちにん上御一任の意志に反して臣たるものは何事をも決することができません」という風に報告した東条の前言ですが)ごぜん御前会議において天皇は我々の要求をのんで、渋々と戦争開始ということに決断されたのだ、という風に言い直してくれ」と。その清瀬弁護人の言葉を聞いて、この「プライド」の中の東条はさすがに絶句して、その次に絶叫して、「そこまで俺に言わせるのか」、という場面が出てまいります。はっきりいたしますことは、このような立場の映画においても、天皇の戦争責任というのは明確であるということであります。

 先頃、日本の明仁天皇が英国を訪ねました。和解の言葉を述べたと言われておりますけれども、「両国の間に不幸な一時期があった」というような、どこの誰かが責任を負うのかわからないような発言を為し、そしてその沿道に並んでいる英国元捕虜軍人の方々は、その車に対して背中を見せて立ちつくしたという記事が出てまいりました。私達はこの英連邦軍の、このお墓の中に立ちまして、まだまだ和解の道が開かれていないことを実感いたします。もし、明仁天皇が、本当に父、裕仁天皇の戦争責任を自覚されるならば、まずもってロンドンなどに行くよりも、ここに、この地(英連邦戦死者墓地)においでになって、そして第二次世界大戦の戦争責任について謝罪を済まし、悔い改めの祈りをなさるということにおいて、実は日本と英連邦の和解の道は急速に前進したはずであります。そのことにも思い至らない、皇室をはじめ、また宮内庁の見識を疑わざるをえません。私達は、ある日本人の女性によりまして、日英の和解工作の営みが進められたことを知っております。そのことの功績の故に、その方は表彰されましたけれども、しかし、天皇の戦争責任をしっかりと前提としない和解工作というのは、英連邦の方々に対しても、日本人にとりましても、これは欺瞞という他ない、そのように思います。

 私どもは今、聖書のことば(詩篇22・24~31)を読んでいただきました。千八百余に及ぶこの地に永眠していらっしゃる英連邦の方々の霊を想いながら、戦争中にこの人達が、いかに、貧しく飢えて、傷ついて、その命を終らざるをえなかったかを思います。詩篇の二十二篇の十五節には、

  主は貧しい人の苦しみを
  決してあなど侮らず、さげすまれません。
  みかお御顔を隠すことなく

  助けを求める叫びを聞いてくださいます。

と、語られております。私どもの思いを越えて、この地に眠る方々の、その貧しさと痛みと傷を主は必ず聞いてくださり、この世界の歴史において正義と公平といつく慈しみと平和とが満ち満ちる時を与えられるべく私達を促しておいでになる、ということを思います。

 二十八節には

  地の果てまで

  すべての人が主を認め、み御もとに立ち帰り

国々のたみ民がみまえ御前にひれ伏しますように。

主権は主にあり、主は国々を治められます。

主権は主にある、最後的な権威は歴史を導き、人間を救い、罪を許す神様のみにあります。その神様はいわゆるキリスト教の枠を越えて、全ての人に及ぶ正義と公平と慈しみと平和の力であろうと思います。

 「命にあふれてこの地に住む者はことごとく主にひれ伏し、ちり塵に下った者もすべてみまえ御前に身をかが屈めます。」地の塵に帰せられたる多くの魂、その魂は必ずや命にあふれて御前に身をかが屈めると三〇節は歌っております。私の魂は必ず命を得ると…。千八百余のこの地に眠る方々の犠牲を無にすることなく、私どもはこの年、あらためてアジア太平洋全域に渡る戦争犠牲者のために祈り、かつまた平和の実現のために努力することをこの御前に誓いたいと思います。

 「幸いなるかな平和を実現する人、その人は神の子ととな称えられる」とイエスはおお仰せられました(マタイ5・9)。決してそれは、「ピースフルパーソン」(peaceful person)ではなく、「ピースメーカー」(peacemaker)であることを主は求めておいでになります。この年、一人一人が新しくピースメーカーであることを決意して、また次の年、この場所に集まって参りたいと思います。

平和への祈り

 恵み深い主なる神様、再び私たちはこの英連邦軍の戦没者墓地に参りまして、英連邦をはじめ、アジア太平洋全域において戦争の犠牲になった方々の霊を想い、その叫びと祈りに耳を傾け、来るべき時代を平和に満ちた時代にするために、ここに集まり得ましたことを感謝いたします。

 願わくはどうか主イエスキリストの仰せのごとく、ピースメーカーとして私どもの生涯を生きることができますように。そのように平和は主のものでありますがゆえにピースメーカーとして生きること、そのことが私たちの一人一人の人生の内容でございます。主よ、この地に眠る方々を憐れんで下さい。アジア太平洋地域に未だ痛みを押さえつつ、従軍慰安婦をはじめ、多くの方々が悩みを続けていらっしゃいます。その方々の魂に平安をお与え下さい。

 どうか我らの国日本が、何よりも道義を回復することによって、我々が誇るべき国になることができますよう、主よ、わが祖国を憐れんで下さい。

 この祈りをイエスキリストの御名によって、お祈り致します。

  アーメン。


この文章は『青山学院と戦争の記憶―罪責と証言』(2000年8月発行)より、編者である雨宮氏の許可を得て転載させていただきました。