第三回英連邦戦没捕虜追悼礼拝 追悼の辞「狼は小羊と共に宿る」


関田 寛雄

 

アジア・太平戦争が終わりまして五十二年経過し、又この暑い夏を迎えました。今日私たちは、アジア・太平洋戦争において特に泰緬鉄道建設という日本軍によって行われた歴史的虐殺と戦争の罪、さらに又シンガポール、ニューギニア、ニュージーランド、オーストラリアその他太平洋諸地域における、日本軍の様々なる侵略と暴挙によって犠牲になった方々、さらに日本に連行されて、この地において捕虜として亡くなられた方々の命を思い、その方々に心から平安を祈るためにここに集まって参りました。中国大陸において、あるいはフィリピンにおいて、その他における三千万といわれる犠牲者の方々の事を思いながらここに集まり、新しい歴史を作るために、和解の歴史をつくるためにここに集まって参りました。

 この時にあたって、一つの感想を述べさせていただきたいと思います。先月の半ばに私はある仕事を兼ねて鹿児島に参りました。鹿児島の知覧という所とかのや鹿屋という所です。ここは陸軍と海軍のかつて特別攻撃隊が発進した基地の跡でありまして、そこに資料館がありました。知覧は陸軍だけでも一〇二八名の若い人たち、中には一六歳の少年も含めて特別攻撃隊として沖縄の海に飛び込んでいった人々を記念した所でもあります。写真がたくさん並んでおりましたけれども、この中には青山学院の神学部、私たちのOBであります、石塚コウ四郎さんの姿もございました。

 あるいは又、鹿屋においてもたくさんの特攻隊の遺書を見たわけでありますけれども残された遺書を逐一読んで参ります時に、そこにはもちろん当時の教育の結果でありましょう、皇国の防壁として一命投げうって天皇に忠誠を尽くすといったような言葉がワンパターンのように流れておりました。

 その中の学徒兵の一人の遺書の中に、長々とは書かないで、たった一枚の手紙に「眠れ、眠れ、母の胸に」とだけ書いて、それをひそかに家族に送った学徒兵の遺書がありました。天皇に対する忠誠というふうな事が合言葉のように言われておりましたこの時期に、「眠れ、眠れ、母の胸に」と手紙に大きく書いてそれだけを残して散っていった学徒兵のことを思います。おそらくそれが当時の学徒兵の本当の心ではなかったでしょうか。

 この地に参りまして、皆さんの目の前に休んでいらっしゃいます、かつての英連邦の軍人の方々の墓碑銘一つ一つをながめながら参ります時に、そこには人間の優しさと真実にあふれる言葉が刻まれております。その中に、ひとつこんな言葉が心に残りました。”In memory of my beloved son, Patt, sadly missed till we meet, Mother.”ここには、お母さんが「私の息子パットよ、悲しくも去ってしまった私の愛する息子よ、あい見る時まで、母より」、と記されています。

 「眠れ、眠れ、母の胸に」と残していった学徒兵と共にこの母の言葉の示すことは、この戦争が何であったか、この戦争は決していかなる意味でも正義の戦争ではなかった。戦争はすべての者に悪と悲しみと喪失をもたらすという事だと、思わざるを得ません。

 先程読んでいただきました聖書の言葉(詩篇11・1~10)の中に「狼は子羊と共に宿る」という言葉がありました。これこそ永遠平和の理想であります。この平和を目指して私たちは、ここに集まった者として心に刻んで再びあのような戦争の過ちに陥らないように、そして失われた魂に対して、もし私たちが生き残って為すべき事があるとするならば、二度と戦争はしないという誓いであり、彼らが言いたくて言えなかった事をはっきり言って平和をつくって行く人間になることではないかと思います。

 イエスの言葉の中に”Blessed are the peace makers,”という言葉(マタイ5・9)があります。イエスは決して“Peaceful person”を望んではいらっしゃいません。平和的人間ではなくて、平和を実現する人間を望んでいらっしゃる。その事を覚えて、私共は来年のこの集いに至るまで「自由主義史観」といったようなまやかしの歴史観にひきずられることなく、事実を見つめて平和への礎を堅くする一方、この一年さらに平和への歩みを進めていきたいと思います。

 最後に皆さんと一緒に平和の祈りをしたいと思いますが、原爆の詩人といわれる峠三吉さんの詩集の中から、一つを引用したいと思います。御唱和ください。

父を返せ、母を返せ
年寄りを返せ、子どもを返せ
私を返せ、私につながる人間を返せ

人間の世のある限り

崩れぬ平和を、平和を返せ

平和への祈り

 平和の主にいまして、歴史を導きたもう、イエス・キリストの父なる神よ、ここに私共は集まりまして、アジア・太平洋戦争における多くの犠牲者、なかんずく英連邦の亡くなられた捕虜の方たちのお墓の前で、平和をつくる事を深く決意するこの時を与えられました事を心から感謝いたします。生き残った者としてなぜ生き残ってしまったか、その事の思いを持つ者として、私共は亡くなっていった方々の平和への叫び、祈りを承け続けていきたいと思います。この集いを始められた永瀬先生をはじめ、多くの方々のご苦労をねぎらい、この集いが平和の祈りと共に長く続けていける事ができますように、参加されたお一人おひとりに平和の礎を築く決意を深くさせてくださいますように、イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン


この文章は『戦没捕虜追悼礼拝(1995‐2002)―平和と和解への道―』(2002年8月発行)から転載いたしました。