追悼の辞「和解の務め」 豊川慎(関東学院大学准教授・宗教主事)

「神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。」コリントの信徒への手紙第二 5章18節―19節

私達は今年もこの保土ヶ谷において、日本の戦争加害に思いを馳せ、この国で命を奪われた英連邦捕虜の方々を覚えて追悼するために集っています。戦後50年を機に始められたこの追悼礼拝は今年30回目となりました。30年もの間、一度も途切れることなく、追悼礼拝を継続し続けることが出来たことを主に感謝するとともに、追悼礼拝の呼びかけ人であった今はなき雨宮剛先生、斎藤和明先生、永瀬隆さん、そして関田寛雄先生先達方の平和と和解を希求する思いを継承して私たちはここに集っています。追悼礼拝を導いてくださった4氏を偲びつつ、私達は日本の戦争の加害行為に対する謝罪と悔い改め、そして非戦と平和への思いを新たにするため、共に静まりこの追悼礼拝の時を祈り過ごしたいと願っています。

 ここに集っている私達は年代も国籍も性別もそして宗教も異にする者であります。しかし、平和を祈り願う強い思いは皆同じです。世界に目を向けますと今なお世界中で多くの尊い命が奪われ続けている現状があります。ロシアとウクライナの戦争は終わりが見えません。イスラエルとパレスチナで続いている惨状にも心を痛めます。多くの民間人、それも多くの子供たちがなすすべもなく命を奪われ続けている状況に国家的暴力の恐ろしさと共に国際社会の無力さをも思い知らされています。どのような理由があろうとも、奪われてもいい命などありません。人が人の命を奪うという人間が引き起こす戦争の残酷さ、おぞましさ、罪深さを日々見せつけられています。しかし、世界中で争いや戦争が絶えないからこそ、私達はここに集い、非戦と平和と和解のメッセージを発信し続ける必要があるのです。安易に武力や軍事力に訴えることがないように、戦争の悲惨さと残酷さを胸に刻み続けなければなりません。戦争の記憶を継承していかなくはなりません。戦時下において日本のキリスト教会も積極的に戦争に加担した罪を犯しました。それゆえ私自身キリスト者として二度と同じ過ちを犯さないように戦争の記憶を継承し、悔い改めて謝罪し、和解の務めを果たしていかなくてはならないと強く思うのです。追悼礼拝趣旨文には「礼拝の原点は憎しみの消えない犠牲者と日本人との和解のきっかけが与えられることです。それにより、世界の恒久平和の実現が可能になるのです」と記されています。私達はこの礼拝の原点に立ち続け、和解と平和を希求し続けます。

 そもそも和解という概念はキリスト教の根本です。イエス・キリストは人間の罪を贖うために十字架にかけられ、その死によって神との平和が回復されました。人々の間の敵意という隔ての壁を打ち壊し、神と人とを和解させ、人と人との和解を可能にして下さいました。平和の福音を告げ知らせるためにこの世に生まれたのが平和の君イエス・キリストです。その主イエスは私たち一人一人に和解の務めを委ねられました。これも追悼礼拝の原点です。

この追悼礼拝は日本の過去の過ちを直視し、戦争責任についての熟考を私達に促します。平和を創り出すために何が出来るのでしょうか。私達には平和と和解のために奉仕する務めがあることを認識し、戦争の記憶を継承しつつ、平和責任を共に担って行こうではありませんか。私たちは一人ではありません。平和への思いを共にするこれだけの兄弟姉妹がいるのですから平和のために共に祈り協働し平和の実現のため共に歩んでまいりましょう。