「関田寛雄牧師・雨宮剛先生追悼記念礼拝」追悼の辞

関田寛雄牧師・雨宮剛先生追悼記念礼拝

奥津 隆雄(飯能ホライズンチャペル牧師・「英連邦戦没捕虜追悼礼拝」実行委員会代表

追悼の辞「勇気と忍耐を引き継ぐ」

聖書個所:ルカ福音書10章36-37節

「この三人の中でだれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。彼は言った。「その人に憐れみ深い行いをした人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って、同じようにしなさい。」

 この聖書個所は、「あなたの隣人とは」ということについてイエス・キリストが話されたたとえ話しの最後の結論です。「三人」とは、祭司、レビ人、サマリア人のことです。祭司とレビ人はイスラエルの宗教家のことであり、政治のリーダーでもあった人たちです。サマリア人とは、イスラエル人が差別し、かかわりあうことを拒否していた人たちのことです。ある人が強盗に襲われ、持ち物は全部奪われ、半殺しの目にあい、道端に倒れていました。そこにまず、祭司が通りかかりましたが、祭司はこの人を見ると、道の反対側を通ってそのまま行ってしまいました。この人を見て見ぬふりをしたのです。次にレビ人がやってきましたが、レビ人も同じように、道の反対側を通ってそのまま通り過ぎてしまいました。その次にやって来たのがサマリア人でした。サマリア人は、この人を見るとこの人に近寄り、傷の手当てをし、自分の家畜に乗せて宿屋まで連れて行きました。そして、その宿屋の代金を払い、さらに、宿屋の主人にこの人の介抱を頼み、もっとお金がかかったら、その分は自分が払うことを約束して行ったのです。イエス・キリストの質問は「この三人の中でだれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか」でした。答えはもちろん、サマリア人です。そしてイエス・キリストは「あなたも行って、同じようにしなさい」とおっしゃられました。そのイエス・キリストのことば通り、それを実践されたのが関田先生であり、雨宮先生でした。しかし、「言うは易し、行うは難し」です。このサマリア人と同じように行うのは決して易しいことではありません。傷ついた人、困難の中にある人、自分では立ち上がれないような人の隣人になるためには、まずは勇気が必要だからです。その勇気を行動で示してくださったのが、関田先生であり、雨宮先生でした。

関田先生は在日韓国朝鮮人の方たちに対する差別のために闘われました。関田先生はいつもこの世で差別され、虐げられ、無視されている方々の側に立った行いをされていました。それにはとても勇気が必要なことだったはずです。この「英連邦戦没捕虜追悼礼拝」においても、関田先生はいつも、日本政府の間違いを指摘し、日本が侵略をしたアジア諸国に対する謝罪と補償を日本政府に求め続けました。それもまた勇気のいることです。私たちはその勇気を見習い、その勇気を引き継いでまいりたいと思っています。

 雨宮先生もまた、傷ついた人や困難の中にある人たちのために隣人となった先生でした。難民認定されないクルド人の家族を助け、国外に移住できるように助けられました。日本に留学に来ていたエジプト人の学生を助けられました。フィリピンの村々に井戸を作るための募金活動を長年続けられました。私はそれらの活動を雨宮先生の身近で見させていただきました。雨宮先生はそのような方々のために、いつも勇気を持って行動し、支援をしてきました。学生たちの隣人になってくださった、ともいえると思います。自分の学生たちをフィリピンとタイに送り、貧困や戦争の傷跡を直接体験することができるプログラムも行ってくださいました。フィリピンとタイの体験学習です。私はフィリピンの体験学習に参加した者の一人です。私はその体験学習を通し、今日本人として生きるとは何か、ということを深くがんが得させられました。学生をフィリピンやタイに送り出す、というのも何と大きな勇気が必要であったかしれません。学生たちが事件や事故に巻き込まれたら大事になります。しかし、雨宮先生は、そのような危険や困難を承知で、フィリピンとタイの体験学習を続け、学生たちを送り出し続けました。しかし、その実りは大変大きなものでした。体験学習に参加した者たちは今、様々な場所で同じように、誰かの隣人となって活動しているのです。

 聖書には書いてありませんが、強盗に襲われた人の隣人となったサマリア人は、その後もきっとこの人を支援し続けたことでしょう。この人の傷が治り、再び生活の基盤を築くには長い時間がかかるはずだからです。そのような長い支援を続けるためには忍耐が必要です。関田先生と雨宮先生は忍耐の人でもありました。関田先生は第1回の追悼礼拝から28年間毎年この追悼礼拝に出席を続けられ、ほとんど毎年、追悼の辞をしてくださっていました。雨宮先生は第1回の追悼礼拝から、この追悼礼拝を実施するための様々な準備を一手に引き受けてこられました。大使館への連絡、奉仕者集め、プログラム作りなど、どれも忍耐のいる奉仕ばかりです。それを20年以上続けられ、次世代の者である私たちにこの追悼礼拝を引き継いでくださいました。この追悼礼拝がここまで続けられているのは、お二人の先生たちのそのような忍耐があったからです。これから先、追悼礼拝を続けるためにも忍耐が必要です。私たちはこれからもお二人の先生たちの忍耐も引き継いでまいります。

 本日皆様にお配りしたDVDは稲塚さんのご尽力によるものです。稲塚さんは「隣る人」工房を運営されています。、「隣る人」とは隣人になる人、という意味です。稲塚さんは関田先生と雨宮先生のインタビューをされ、それをDVDにしてくださいましたが、それは、関田先生も雨宮先生も長年隣る人となり続けた先生方だったからです。今回皆様にこのDVDをお配りできたのは、そのような意味でとてもよかったと思っております。関田先生、雨宮先生、いかがでしょうか?

 イエス・キリストは「あなたも行って、同じようにしなさい」とおっしゃられました。私たちは今、平和と和解の道のりを歩み続けていますが、このことばを実践する歩みこそ、平和と和解の道のりを歩むことにほかならず、平和と和解の実現へと向かう道のりに違いありません。関田先生と雨宮先生は、そのことをご自身の人生をもって示してくださいました。私たちも同じように私たちの人生を歩んでまいります。

 本日はお忙しい中、「関田寛雄牧師・雨宮剛先生追悼記念礼拝」にご参加くださりありがとうございました。