第29回英連邦戦没捕虜追悼礼拝「追悼の辞」

2023年8月5日 英連邦戦没捕虜追悼礼拝 追悼の辞

岡田 仁 富坂キリスト教センター総主事

日本基督教団 駒場エデン教会協力牧師

2022年2月24日のロシアによるウクライナ軍事侵攻は世界に大きな衝撃を与えました。世界はいま、憎しみと敵意に満ち、国と国、民族と民族が分断されつつあります。憲法9条に基づいた平和を掲げる日本も、「中国、北朝鮮の脅威」を口実に、夥しい武器の購入、軍事費増大へと邁進しています。

また、今年9月1日は関東大震災から百年です。この震災で6,000人以上の朝鮮人、700人以上の中国人が日本の軍隊、官憲、自警団によって虐殺されました。この間、日本における教会の祈祷課題としてこの凄惨な事件を覚え、悔い改めをなしてきたでしょうか。いま日本キリスト教協議会(NCC)と市民運動の人々でともに歴史の真実を学び、秋の集会を準備しています。

 主イエスが教えられた「み国を来たらせ給え」との祈りは、「我らの本国は天にあり」(ピリピ3:20)という国境を超えた存在のとらえ方からもたらされる祈りです。そしてこの祈りは、過去の歴史を悔い改め、将来を「神の国の到来」の祈りに合わせて築き上げるという強い意志です。「本国」とは、国籍、市民権を指します。私たちはこの世に生きる共同体の一員、市民であると同時に、天に国籍を持つ者、神の国の市民権を持つ者です。このことを「究極のもの」と「究極以前のもの」という言葉で説明したのが、ナチスに抵抗し処刑された牧師・神学者D・ボンヘッファーです。

究極のものとは、国籍が天にあるという現実で、私たち一人ひとりが神によって受け入れられているということです。しかし私たちは、究極以前のもの(この世の事柄)に関わって生きています。「国籍が天にある」とは、究極のものに信頼を置きつつも同時に究極以前のこの世界に責任を負う生き方です。そのように主イエスご自身が生きられました。イエス様は、人間となられ、人間と連帯し、苦しむ者の友となられました。それは十字架への道でしたが、神の御心に適う歩みであったために神に肯定され、復活へと至る道となりました。国籍が天にあるとは、まさにイエス・キリストの生き方そのものです。キリストによってすでに和解の現実を知らされている私たちだからこそ、環境が破壊され、人間の尊厳、被造物の命が破壊されている現状を肯定するのではなく、こんなことが許されてよいのかとの大きな驚きと憤りをもって応答するのです。

昨今、在日「外国人」(コリアン)へのヘイトクライム(偏見・憎悪による犯罪)が後を絶ちません。関東大震災での出来事が今も形を変えて繰り返されています。「過去に目を閉ざす者は現在にも目を閉ざすことになります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」(R.v.ヴァイツゼカー)。ウクライナ人をはじめ難民への支援とともに、まずは足元の暴力に抵抗することが平和への道につながるのだと信じます。

追悼礼拝を呼びかけた永瀬隆さん、斎藤和明さん、雨宮剛さん、そしてメッセージを担当された関田寛雄さんは、真実の証人として「み国を来たらせ給え」と祈り、十字架の主に最期まで従い、天国に凱旋されました。私たちもまた、この先生がたの祈りと志を継承し、神の国の到来を待ち望みつつ、ともに平和を実現してまいりましょう。