第七回英連邦戦没捕虜追悼礼拝 追悼の辞 「正義と平和は口づけし」
関田 寛雄
今年もまたこの地において和解と平和を求めての追悼礼拝を守ることができるのは、神の導きであると共に、多くの志を同じくする方々の熱意と努力に負うところが大きい。第二次大戦における多くの犠牲者は、この地に眠る方々も含めて、今を生きる私どもに声なき声で叫んでいる。「正義と共に平和を、そして平和と共に正義を」と。
詩篇八五篇の二~一四節はバビロンから解放された捕囚ユダに対する神の恵みを想起しつつも、五~八節はその後の不正と偶像礼拝という神なき現実の嘆きの歌である。しかし九~一四節は主の平和の宣言を確信し救いの将来を待望する歌である。
「主は平和を宣言されます」(九節)。しかしその平和は正義を条件とする。正義なき平和は死んだ平和であり、圧倒的な不正の強権のゆえに自由に声も挙げられない凍えた平和でしかない。また正義の条件は平和である。正義が貫徹される時、平和が伴わないならば正義は自らを裏切ることになるであろう。この詩人は「正義と平和は口づけし」と神による希望を歌っている。まことにその時こそ正義は正義となり、平和は真の平和となるのである。その事態をもたらすものは「主の慈しみに生きる人々」(九節)に他ならない。
第二次対戦中、日本基督教団は政府の要請に応えて、東南アジア諸国に数十名の牧師を派遣した。その目的は「大東亜戦争」が西欧植民地主義支配からアジアを解放する「義戦」である所以を、占領諸地域住民に説得・弁明するという事であった。
米国留学の経験のあるH牧師はフィリピンの基地を占領する日本軍部隊と行動を共にしていた。ある日教会の神父が部隊長のもとにある要求をもって来た。それは、教会堂のマリア像が持ち去られて、近くに設営された「軍隊慰安所」の中に置かれている。「慰安婦」たちに返還するように求めたが、どうしても聞いてくれないので、部隊長の命令で取り戻してほしいという事であった。やりとりを通訳したH牧師は部隊長に提案した。今のマリア像はそのままにして、新しいマリア像を教会に寄進したらどうかと。部隊長はそれを受け入れて一件落着したが、H牧師によれば、「慰安婦」たちは強制的に集められたが、一旦その仕事につくや家族、友人、教会の人々が彼女たちを白眼視し始めた。二重の屈辱に耐え難く、「自分たちは礼拝に行けなくても、マリア様なら私たちの所に来て下さるに違いない」と考え、彼女たちは「慰安所」に像を持ち込み、日夜礼拝を守っていたのである。
「大東亜戦争」を正義の戦争としつつも、「軍隊慰安所」でアジアの女たちの命を蹂躙して行った天皇の軍隊の蛮行を、この聖母マリアは決して許さないであろう。「わたしの魂は主をあがめ…、権力ある者をその座から引き降ろし、…、その僕イスラエル(アジア各地の「慰安婦」たち)を受け入れて、憐れみをお忘れになりません」(ルカ一章「マリアの賛歌」)。あった事もなかった事にして行く歪曲歴史教科書が配布されるこの時、我々は誰と連帯し誰と共にマリアの賛歌を歌うのであろうか。正義の伴わぬ平和はなく、平和の伴わぬ正義もないのである。
この文章は『戦没捕虜追悼礼拝(1995‐2002)―平和と和解への道―』(2002年8月発行)から転載いたしました。
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