第六回英連邦戦没捕虜追悼礼拝 追悼の辞「“霊の人”と“和解”」


大庭 昭博

 

戦争がどれだけ多くの人々の生命を奪い、また悲惨な苦しみへとまき込んでいくのか、戦後の日本においては時間と共に、その記憶の風化が進んでいる。しかし記憶は、忘却の彼方へ流されるものではなく、戦争の記憶が犠牲者の方々のものであれば尚更、何らかの形で語り伝えられていかねばならないのだと思わされる。その記憶が根源的なところで癒され、その癒しの出発から、未来の平和への希望が生み出されなければならない。

 今年はフィリピンにおける「死の行進」を生きのびられ、その後、九州の炭坑大牟田で捕虜としての強制労働につかされたレスター・テニーさんをお

迎えして、追悼礼拝を守っている。大牟田の三井三池炭坑は、一九九六年の三月末をもって閉山した。同じ福岡県出身の私は、炭坑と直接的に関係したことはないが、筑豊の石炭を積出す港町で、石炭の「におい」の中で育ってきた。石炭を採掘する過酷な労働は、戦前、戦争中に、朝鮮半島や中国大陸から強制連行された東アジアの人々、あるいは英連邦やオランダの戦争捕虜となった方々にも負わされた歴史をもっている。その歴史を知ったのは、大人になってからである。戦後生まれの者の多くは、そのような事実に覆を被せられて育ったのである。歴史教育の大切さを痛感させられる。

一九九六年の一月末、採炭のために地下へ降りる立抗が閉じられる日、私は、三井三池の歴史をめぐってのフィールドワークに参加するために、大牟田にいた。このフィールドワークには、アジアから強制連行され、無念の死を迎えなければならなかった人々の墓地を訪ねるプログラムがあったが、まだ残されていた捕虜収容所跡も訪ねることができた。このような方々にも過酷な労働が負わされていたのかと、改めて戦争の一面を知らされた。

今日は、私共戦後生まれの子供の世代、若い学生たちが準備の段階から参加していることもあり、フィールドワークの時に手にした、当時の女子高生、中川雅子さんの本『見知らぬわが町』ができあがるいきさつを、短く紹介しておきたい。高校生の彼女は、夏のある夕方、たまたま自転車で散歩に出て、日頃行かないところまで足をのばしたとき、何かは廃墟のようなものを見つける。大牟田で生まれ育ちながら、炭坑の歴史について何も知らなかったのである。だからその廃墟が何であるのか、最初は全くわからなかったそうである。その正体が知りたくなって人に尋ね、それが石炭を地上に運び出す坑口の跡であることを知る。軽い気持ちで夏休みの思い出に、点在する廃坑の写真集を作りたいと思うようになり、図書館へ行き自分で炭坑のことを調べるようになる。ただ彼女の出発点は、単なる知識を満たすようなものではなかった。それは、「あそこで、きっと遠い昔に、何か悲しい出来事があったにちがいない」という瑞々しい感性であった。彼女のフィールドワークは、自分の足で歩く旅で、刑務所に収監されていた囚人たちの奴隷のような死、沖縄から渡ってきた人々の差別の中の死といった、奪い去られた「いのち」に出会う旅であった。

先ほど読んでいただいたコリント信徒への手紙への手紙一(三・一‐二)で、使徒パウロは、「霊の人」と「肉の人」を使い分けている。「肉の人」というのは、自然の人という意味であり、それに対して「霊の人」とは、目覚めさせられた人と言ってよいだろう。「肉の人」は、歴史を自分の肉の欲望に従って解釈し、歴史の中で「いのち」を奪われてきた人々に対する想像力を持てない人のことであろう。「霊の人」とは、「あそこで、きっと遠い昔に、何か悲しい出来事があったにちがいない」という、他者への想像力を働かせることのできる人のことであろう。「霊の人」とは、癒されるべき記憶を大切に継承できる質を持っているように思われる。

この英連邦戦没者礼拝は、日本人が忘れ去ろうとする、記憶を忘却の彼方へと押し流してしまおうとする、アジアの人々に対する戦争・戦後責任を重い課題として受け止めることから始まった。その草の根の働きから、同時に日本軍の犠牲となった英連邦の方々に対する日本人の罪責への自覚がこめられている。だから「肉の人」のように、歴史を自己中心性ではなく、他者への想像力、何よりも、多くの犠牲者を生み出した悲しい出来事の他者性において、「霊の人」への願いがこめられている。軍隊に関して言うならば、「肉の人」「自然の人」は、同じ戦友の死に悲しみ、また戦友の家族に思いをはせることはできる。それは人間として大切な感情であろう。しかし、たとえば日本の軍隊がアジアの民間の人々、民衆を殺戮したとき、自分が殺した人たちにも家族がいることへの想像力を働かせることはできない。それに対して、「霊の人」は、犠牲者の死を最も悲しく受けとめざるを得ない家族の方々の痛みが癒されるよう祈ることへと目覚めさせられている。この墓地には、一八七三名の方々が眠っておられる。しかし同時に、その数倍の遺族の悲しみがあることも忘れてはならないのである。

私共は、ここで眠る犠牲者の方々の霊がやすらか安らからんことと同時に、遺族の方々の悲しみが、神のあわれみによって贖われ、癒されんことを祈るものである。それは「肉の人」として感情に流されるものではなく、「霊の人」として、自らの歴史、それが第一世代であれ、戦後生まれの第二世代であれ、あるいは第三世代であれ、その歴史を自覚し、自分の主体性においてその責任を負うときに、言葉の本来の意味において、「和解」が生れると信じるからである。その和解が平和の礎となることを心から願いたい。